美しく 樹つる 石が根

こんにちは、“かけだしロビイスト”のチャンです。自民党の政経塾を修了していますが自民党員ではありません。普段は“会社員”、あるときは 気まぐれ移動式食堂の“雑用係”。そしてまたあるときは“かけだしロビイスト”として、拙Blog“美しく 樹つる 石が根 ”を綴っております。

沖縄は捨て石だったの?

断片的に耳に入ってきた NHKラジオの国会中継

おそらく共産党議員でしょう、
「沖縄は捨て石にされた」との御主張。

果たしてそうなのか?

沖縄戦終結70年⑪

◆沖縄は日本本土の「捨て石」だったのか

アメリカ軍は、日本の本土から遠い側から順番に攻撃を仕掛けてきました。そのため、沖縄は本土よりも先に攻撃を受けて戦場になったのです。敵に近い陣地で友軍が戦闘している間に、万一これが突破された場合に備えて後方の陣地をより堅固に構築するのは当然です。沖縄が戦場になったのがあたかも日本政府の責任のように論じるのは間違いです。

沖縄戦では沖縄の人にばかり戦闘を押し付けたわけではなく、本土や他の地域から沖縄へ軍隊を送って沖縄を防衛しようとしました。沖縄を護るため、北は樺太、北海道から鹿児島まで各都道府県出身の将兵が沖縄で戦いました。
沖縄戦における沖縄県以外の地域出身の戦死者は6万9800人です。北海道出身の戦死者が最も多く、その数は1万人を超えます。沖縄県南部に位置する摩文仁の丘周辺には多くの府県の慰霊塔が立ち並んでおり、全国の人たちが沖縄を助けに来たことを実感できます。

また、台湾や九州からは次々と特攻機が飛び立ち、沖縄を囲むアメリカ軍の艦隊を攻撃しました。沖縄戦では、海軍1026機(1997人)、陸軍は886機(1021人)もの特攻機を投入しました。
ちなみに、特攻隊の攻撃があった時だけは、アメリカの軍艦は、沖縄に対する艦砲射撃を止めて日本軍機を攻撃するので、防空壕に隠れていた県民たちはその隙に水汲みや食料の調達に出かけることができたと言います。

日本政府は沖縄を見捨てたわけではなく、沖縄を全力で守ることが日本を守ることであると考え、ここに多くの戦力を投入したのです。

アメリカ政府とアメリカ軍は、沖縄の次は九州侵攻作戦と関東上陸作戦を計画していましたが、沖縄での激しい抵抗を受けて、その方針を再考せざるを得なくなりました。日本軍や沖縄県民が懸命に戦ったことが、結果的にアメリカ軍に九州、関東への上陸を断念させ、多くの人々の命を救ったのです。

今、私たちの命があるのは、このように郷土や祖国を思い、文字通り命がけで沖縄戦を戦った方々のおかげです。

沖縄戦終結から70年を迎えた本日6月23日、沖縄戦戦死者の御霊に慰霊の誠を捧げつつ、戦後の復興に力を尽くし、かつ今日も国防の最前線として我が国を守ってくださっている沖縄県民の努力に感謝する一日として参りたいと思います。

長くなりましたが、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

(完)

 

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いえ、沖縄は『英雄』です。

日本軍と共に戦い 米軍の進撃を抑え、我が国を守った 英雄なのです。
 
三荻 祥さんも ご紹介されている 太田實中将が、海軍省に宛てた電報の最後の一文、
沖縄県民斯ク戦ヘリ
   県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
 
今を生きる我々は、この言葉を胸に刻み、
現在、沖縄にある危機と対峙せねばなりません。
英雄である 沖縄を 日本全体で護らねばなりません。

 

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“全日本 青空高く日の丸掲げ!推進委員会委員長”

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