金刀比羅宮(こんぴらさん) と掃海殉難者
“終戦時、日本近海には米国がばらまいた機雷が約1万700個も残存していた。
その除去はまさに日本復興の急務であり、帝国陸海軍が消滅した中で、旧海軍兵による「航路啓蒙隊」は作戦行動を継続することとなった。
敗戦直後で装備もろくにない中、老朽艦や徴用の漁船に乗り、劣悪な環境の中で機雷を一つ一つ見つけては、慎重を期して処理するという、気の遠くなるような作業に命がけで当たった人々がいたのである。
紛れもない参戦でありながら「米国雇用の公務員」という立場で、大義名分も明らかにされず、日章旗も掲げられない艦で、壮行も受けずに部隊は出動した。
この派遣で掃海艇一隻が機雷に触れ沈没、1名が死亡。
それに何よりも彼らが命がけで航路を開かなければ、戦後の復興は始まらなかったのだ。
しかし、その功績はほとんど無視され、忘れられてきた。
朝鮮戦争の1名を含む79名が殉職したが、彼らに「戦死」の名誉は与えられない。靖国神社にも祀られない。
〜小林よしのり著「国防論」より〜
こんにちはチャンです。
※写真は2012年に、こんぴらさんに参拝したときのものです。
家内と掃海殉難者顕彰碑に手をあわせ、我が国の為に命を捧げられた御霊を慰霊顕彰させていただきました。
吉田茂元総理の揮毫だそうです。