日韓合意の背景には、戦争リスクの高まりにあるとの分析。
今回の日韓合意について、私は このように感じたのですが いかがですか。
来年の参議院議員選挙を控え、
保守を裏切るかのような安倍外交は、
それでも選挙には勝てるという算段があるからなのだろうか?だとしたら、日韓合意なるものは (政治勢力としての)保守層の敗北を意味する。
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。(戦後70年、安倍総理談話より引用)」
私は、この意味を読み違えていたのかもしれない。
小坪しんやさんによると、
今回の判断が下された背景だが、これらの戦争リスクの高まりがあると思う。
私が見積もっているよりも、現実はさらに悪いのだろう。
私は「それでもいい!」と強気の発言をしたが、「戦火に巻き込まれるリスク」は、過小だと判断していた。今回の判断が下されたということ。
それは、あれらの国に引き起こされる「何か」に、我が国が巻き込まれるリスクが、想像以上に高かったという証明だと感じる。
何かとは、単に戦争とは言わない。大きめの紛争であったり、もしくは「シリア難民以上の、大規模難民問題」である。
これが韓国に地位を有利にせしめた。
祖先の名誉を売り払い、将来の子孫らに禍根を残してまで等価するものが、そこにあったのだろう。
私は納得できない。
納得できはしないが、私には見えぬ「厳しい現実」がそこにあるであろうことは、推定している。近いのかもしれない。
あまり考えたくはないが。
このあたりは機会があれば、詳述したいと思うが、私のいまの身分ではこれ以上の推定を述べることは恐らく許されない。あとは行間を読んで頂きたい。
近いのかもな、と私は感じた。
それだけです。
「近い」の単位は、5年とか10年とか、そういう長さであると思いたい。以上。
戦の一字を恐れてはならない。
“全日本 青空高く日の丸掲げ!推進委員会委員長”