東日本大震災とブルーインパルス
滑走路は使用できず、航空機の全てが流され使用不能となりました。
しかし、ブルーインパルスは生き残ります。
それは、まさに奇跡でした。
《交通機関が麻痺している中、輸送機とバスを乗り継いで松島に戻ったブルーの隊員は被災地に向かいます。》
被災した人達の力になるために。
隊員の中には、被災した家族を持つ者もいました。しかし、彼らは家族よりも被災地の救援活動を優先させます。華麗なアクロバット飛行をしていた彼らが、自転車に乗って移動し、住民への給水活動、民家の家財道具の運び出しなどに励んだのです。
しかも、自分たちが飛んでいる間も、被災地の人たちは住む場所もなく苦労して居る。そのことが頭から離れない。
《自分たちは飛んでいて良いのか。自分たちのしていることは正しいのだろうか?》
ブルーインパルスの隊員の自問自答の日々が過ぎてゆきます。
松島の人たちは、救難機以外の音がしなくなった町で、震災前のようにブルーに飛んで欲しいと願っていました。
《町の上をブルーインパルスが飛ぶ。それが町が元通りになるということだから……。》
復興を願って開催された<元気祭り>のイベントとして。予想を超える大勢の人たちが震災後初の、ブルーの飛行を見るために集まり、空を見上げて、歓声を上げてくれます。
その時からブルーインパルスの隊員達は、再び空を飛ぶ意味を見出してゆきます。
《自分たちが、かつてのように飛ぶことこそが「東日本大震災」を乗り越える日本の“勇気”を示すこと》なのだと。
災害派遣は続き、訓練時間は不足。
以前と同じアクロバット飛行をすることはできない。
パイロットたちは苦悩します。
しかし、彼らの帰還を待つ人たちが居る。彼らの帰りを待つ家族たちがいる。
それに答える為に、隊員たちは訓練を重ね、《2年後の2013年3月31日にようやく松島基地へ帰還》
ブルーインパルスの展示飛行が本格的に再開されたのは昨年からです。
30日に行われるブルーインパルスの展示飛行が縮小されることとなったそうです。