原発の是非について。 保守が割れるのは健全、左派が望むのは喧伝。
保守の方々が 原発の是非について意見が割れるのは
思想信条の自由や、表現の自由のある 我が国では とても自然な事です。
私は、原発は維持すべきだろうと考えています。
ですが感情論ではなく理性的な脱原発(代替エネルギーの提示もある)論には、
耳を傾けるべきだと思っています。
原発については このような意見もあります。
エネルギー問題の専門家の中では原子力は水力・火力と比べてはるかに人命の犠牲が少ない発電方法であると考えられている。それはちょうど同じ距離を移動するのに自動車を使った場合と飛行機を使った場合に似ている。
要約すると、原発は環境にも人にも優しいエネルギーであるとの御意見です。
人権やエコを好む左派の中には、このような意見に 賛同する方が居てもおかしくは無いと思うんですけどね。
拉致問題もそうですね。
*1
人権問題に積極的に関わる左派の方々が、重大な人権侵害である拉致問題にはあまり関わろうとしない。
つまり、“人権やエコ”という 一見 正義と思える仮面をかぶって 人心を掌握し 利用してるんですね。
脱原発という主張は一つの道具。
話があっちこっち行きますが、辺野古移設反対も同じ仕組み。*2
安保法制反対も同じ。*3
原発問題に限らず 国内問題において
感情論を排した理性的な言論に触れたいのですが*4
今の所 日本では、 それ以前に
様々な問題が左翼の工作活動の隠れ蓑になってしまい
情報は汚染され 自由な議論などできない状態です。*5
私は、 自由の仮面をかぶって
祖国 日本と共に華麗に舞い上がりたい。
“全日本 青空高く日の丸掲げ!推進委員会委員長”